ツイッターリンク: @satoponda

ブログ記事はこちら

第3章 からゆき物語 4 密航

4 密航

一九一三(大正二)年四月現在で、世界各国在住のからゆきさんたちの総合計は二万二千三百六十二人であった。当時、海外在留日本人総数約三十万人と比較すると、その約七・五%がからゆきさんで占められていたことになる。

当時、からゆきさんたちの足跡は英国、ヨーロッパ、南北アメリカ、ハワイ、シべリア、中国、香港、フィリピン、マレイ半島、インドネシア、オーストラリア、インド等々の世界全域に及んでいた。

からゆきさんの目覚しい海外進出にだれよりも悲鳴をあげたのは、海外各地に置かれていた日本領事館である。各国の日本領事たちは、からゆきさんの存在が日本帝国の体面を汚すのみか、原地住民の日貨排庁や排日運動へのひきがねとなることを恐れていた。

一九一二年(明治四十五)六月十二日付シンガポール領事代理の請訓にたいして、内田康哉外務大臣はつぎのような回答を同年八月十九日付で送付した。「新嘉披方面へ渡航スル醜業婦取締方ノ義ニ関シ纏々御票申ノ趣了番向後共ノ地居留民ョリ在留証明書発給方ヲ貴館へ願出ッルトキハ申請者ノ身元、業態等ヲ慎重ニ考査セラレ明ニ醜業婦呼寄ノ用ニ供スルモノト信スへキ理由アル場合ニハ一切証明書発給相成ラサルコトニ御取扱相成度(8)

お役所風のいささかむずかしい表現の内田外務大臣の回訓の内容は、要するに今後シンガポール領事館はあきらかにからゆきさんとわかる女性には、在留証明書を交付しないでもよろしいということである。

この回訓とともに外務省から各地方長官宛に、今後日本からシンガポールに渡航を希望する女性のパスポート発行に対しては、からゆきさんか否かを厳重にチェックした上で下付することを要請する通喋が出された。

同年三月十四日、ハルビン総領事からも、近年来とみにパスポート申請が増加しているロシア方面行き希望の女性たちの審査を厳重にしたいとの請訓が、内田外務大臣宛にとどいている。この請訓にたいする同年四月十日付内田外務大臣の機密扱いの回答は、重要だから煩雑をかえりみず引用することにする。

「内地ニ於テハ醜業ノ目的ヲ以テ外国ニ渡航スル者ニ対シテハ一般ニ旅券ヲ下附セサルニョリ此種婦女中ニハ無旅券ニテ一旦(清国)ニ渡航シタル上共ノ地帝国領事館ニ旅券ノ下附ヲ出願スル者モ可有之ト被存候・・・・・・貴見ノ通リ将来醜業ニ従事スルモノト認メラルル露領行婦女ニハ一切旅券ヲ下附セラレサル様致度(9)

内田外務大臣はハルビン総領事の請訓に対して、今後同領事館宛に申請されるシべリア行きからゆきさんのパスポートはいっさい認めるには及ばないと回答しているのである。しかも、内田外務大臣は右回答書中で、事情の如何を問わず今後国内からシベリアに渡航を希望するからゆきさんのパスポートも発行しないと連絡している。

これまでは、正式の娼妓稼業承諾書に、娼妓となるためのやむをえざる事情を警察が証明した書類を添付のうえ出願すれば、シべリア渡航を申請するからゆきさんに対して、パスポートが下付されていたのである。

一九一二年を期して、日本政府と在外領事館は北も南もからゆきさんの海外渡航を厳重にチェックすることにしたことが、右の二つの外務省の訓令で明らかにされた。しかしすでに前節で明らかなように、からゆきさんたちは厳しい政府の監視の日をくぐりぬけて、日本をあとにして、シべリアや東南アジアの国々へと渡航していった。

では、パスポートも持たないからゆきさんたちは、一体どのような手段で海外に渡航したのだろうか。まず長い船旅を必要とした南方への旅について、そのからくりを見ることにしよう。

南方への旅に出発するからゆきさんたちはパスポートが無いから、大阪商船株式会社などの配船表に掲載されている汽船に乗船するわけにはいかない。そこで彼女たちを運ぶために、国際的な規模で暗躍する女衒グループが登場することになる。彼等の大半は水夫上りの実に残酷極まりない人間であった。彼等は、島原や天草などで言葉巧みに誘拐した女性たちを密航船に乗せるお膳立てから、香港の仲買人との連絡まで、いっさいの手配を受けもつのである。彼等は誘拐した女性たちを長崎港から夜陰ひそかに小舟で港外に連れだし、離れ島にいたって外国船の立寄るのを待つ。この密航集団を収容するのは、イギリス汽船を除く外国汽船である。

このほか、税関や水上警察の日が光っている長崎港からひそかに汽船に娘たちを乗込ませる方法もあった。手配師は汽船への石炭積込みのどさくさにまぎれて、娘たちを汽船の石炭庫に潜入させるのである。

石炭庫にかくれて航海した娘たちは、いよいよ香港上陸となると、石炭のすすで汚れた真黒な顔のまま市内に向う。香港市内のホテルで洗顔し化粧し直した娘たちは、ここでさらに仲買人の手を経て東南アジア各地へと売り飛ばされた。

真黒になっても、香港にたどりつけた日本娘はまだ幸せである。シンガポール在住の日本キリスト教会牧師梅森豪勇は、海外渡航のからゆきさんについて、つぎのような恐るべき事実を報告している。

「自分が船中に知った一人は二十六年間海外に醜業を営み、アフリカ辺逸も廻って来たといふ。彼が始めて渡航する時は外国船で密航した。四人連れであったが共内三人は船底に匿され自分だけ石炭倉の中に積まれた。処が玄界灘で余り動揺したので(船員が)三人の匿れてみるのも知らず船底の栓を抜いて水を入れた。私は年を老ってみた為め別に入れられたのが幸となって助かったが、船底に三人の姿を発見した時は既に自骨と化していたといふ。(10)

からゆきさんの「南の旅」のからくりはこれで理解できたが、「北の旅」は密航という手段が使えないから、パスポートなしのシべリアへの出国は普通は不可能だと考えられる。しかし事実はまったく反対で、「北の旅」のからくりは、まことに奇怪な仕組みになっていたのである。

そこで、前掲の静淵「日本婦人の面よごし」によりながら、パスポートなしのからゆきさんがシべリアへ潜入する方法を明らかにしておこう。

日本内地から大連または釜山経由で長春、ハルビンまで来るにはパスポートの必要はないが、ハルビンからシべリア地方に入国するには、ロシアと中国の国境であるボクラニーチチャ駅の税関を通らなければならない。この駅ではパスポートを検査し、手荷物を改める。だが、この駅を無事に通過すれば、もはや自由である。

手配師がからゆきさんを無事ハルビンに到着させると、シべリア各地の遊廊に「新荷何個着」と打電する。電報を受けた遊廓の主人または代理人は、その人数分だけのパスポートを用意してハルビンに赴く。遊廓の主人等に連れられたからゆきさんがポクラニーチナャ駅を通過するときは、そのパスポートを提出するのである。

ロシア人の検査係は停車時間内に提出されたパスポートに接印しなければならないに旅行者を一人一人首実検して、パスポートの真偽を確認している暇がない。同駅のパスポート調査は、結局パスポートを集めてこれに捺印してまた返すという形式をとるだけに過ぎないのである。

したがって、シべリア地方の遊廓には、古物のパスポートが無数に用意され、何回も悪用された。仮にある人がシべリアから日本に引揚げたとしよう。その人がふたたびシべリアに帰る必要のない場合には、自分のパスポートをシべリア在留の知人に郵送する。つまり、不用のパスポートはこうして買却されるのである。

在留邦人がシべリアで死亡した場合、その人のパスポートは在留民会に提出されて、埋葬証が渡される。そのパスポートは民会で厳重に保管することになっていたが、事実はこれに反してすでに死亡した人のパスポートがまた売りに出される始末であった。

こうした状況がまかり通っていたから、「北の旅」をするからゆきさんは、ハルビンまでたどりつけば、身代りをするパスポートはいくらでも融通されるようになっていたのである。シベリア在留の日本人はまさに、からゆきさん密入国の共犯者であった。(P95~P100)

注:(8)外務省「醜業婦渡航取締ニ関スル外務当局ノ訓令通牒」一-二頁
(9)外務省「醜業婦渡航取締ニ関スル外務当局ノ訓令通牒」一二頁
(10)島田三郎「移民問題と我風俗」「廓清」一九一九年十一月号 六頁

出典:廃娼運動―廓の女性はどう解放されたか 竹村民郎(中公新書663) 1982


『廃娼運動 竹村民郎 (1982)』より 「三章 からゆき物語」

3 マレイ半島のからゆきさん
4 密航
5 国際連盟とからゆきさん